デビューに至るまで
Fiona Apple(本名…Fiona Apple McAfee-Maggart)は1977年9月13日にニューヨークで俳優の父(Brandon Maggart)と、歌手、ダンサー、栄養学者など の多数の肩書きを持つ母親(Diane McAfee)の元に生まれますが、両親の離婚で父の住むカルフォルニア と母と兄弟の住むニューヨークを行ったりきたりの生活をします。 8歳の時からピアノを始め、次第に自分で歌を作るようになります。 初めて作った曲のタイトルが"truthful mind"だそうです。 (ちなみにファーストアルバムに収められている
Never is promiseは彼女が15歳の時に 作った曲だとか。)
詩人マヤ・アンジェロウに大きな影響を受け、ビリー・ホリディや エラ・フィッツジェラルド、アレサ・フランクリンを聴いていた彼女は一人、部屋で 黙々と叩きつけるような、あのピアノスタイルで曲を作っていったそうです。 プライヴェートでは無口で冴えない少女で、自分が曲を作っていると は誰にも言わず(言う事が怖かったし、他人とコミュニケーション するすべすら知らなかったと本人がその頃のことを語っています。) その頃の自分のことを曲にした
"sullen girl"の通り、孤独なティーンエイジャーの 時代を彼女は過ごします。
そして、彼女は12歳の時、レイプの被害に遭います。 この事件が後に彼女の内面を大きく変えて行く事になるのは言うまでもありません。 「NYに戻って護身術の講習を受けたの、1日5時間の講習を5日間受けるのよ。 そうやって懸命に戦ったの。”戦ってもとの自分を取り戻さなきゃ駄目だ”と 自分にいい聞かせた。」とインタビューで彼女が語る通り、彼女の”闘う姿勢”は この頃から備わっていたのでしょう。
そして、夜間や通信制の高校を渡り歩き、大学受験資格を得た彼女は 曲作りに没頭し、一本のデモテープを音楽業界の重役の家でベビーシッターをする友人に渡します。このテープが重役からプロデューサーのアンドリュー・スレイターに渡り、それを聞いて感動したスレイターが彼女と契約したいと申し出ます。
こうしてフィオナはアンドリュー・スレイターのHK・マネージメントとクリーン・スレイト・レーヴェル(ソニー)、WORKレーヴェルと契約をします。
デビュー以降、現在に至るまで
発表されたファーストアルバム「tidal」は当初5万枚との予測でしたが シングルカットされた「
criminal」のPV(ティーンエイジャーの夜毎のパーティーや セックスをイメージしたもので、当時はインパクトのある作りだったせいか)がMTVでヘヴィ・ローテーションされたのを きっかけにブレイクし、全米で300万枚・全世界で650万枚の売上を記録した後にグラミー賞を始め、様々なアワードを総なめにします。
その後、全米ツアーを経て、休業した後、映画「Pleasantville.」(邦題:カラーオブハート) のサウンドトラックにビートルズのカヴァー、across the universeをレコーディング し、話題になった後、満を持してセカンドアルバム「when the pawn..」(邦題:真実) という90単語もあるアルバムを発表しました。
そして初のワールドツアーを行い、2000年5月には東京・大阪・福岡3都市5公演の初来日も実現しました。
しばらくの休業の後、音楽に対する気持ちが冷めてしまった事もあったようでしたが、プロデューサー、ジョン・ブライオンの熱心な説得により、地元での小さなライブハウスでのライブを繰り返しながら、アルバムの製作へと準備を進めて行きます。
しかし、3rdアルバム"extraordinary machine"は2003年に完成されたものの、レコーディング内容をめぐってレーベル側と対立した結果、リリースが一度は無期延期になってしまいます。
この報道を聞いた多くのファンやメディア内の彼女を指示する人達の地道な活動により、2005年に再度レコーディングしなおされた"extraordinary machine"がリリースされました。
2006年からはツアーをスタートさせ、10月には6年ぶり2回目のの日本ツアーを行いました。